和歌山のマリーナシティにほど近いところで、陶芸工房を持ち、陶芸教室をしています。
うつわを中心に、陶器を作って販売しています。
私のような個人作家が作る意味って何だろうとずっと考えてきました。大量生産で安いものもたくさんあふれている時代に、私の作るものの意味。
技術は磨いていきたい、けれど
人が作り出す、揺らぎのようなもの。
ちょっとした誤差のようなもの。
工業製品のように真四角でもまん丸でもなく、優しい歪みを感じられるもの。
あまりに手作りっぽいものは、お腹いっぱいになってしまうので、デザインはしていきたい。
洗練されすぎず、ダサくなく、ちょうどいい塩梅のものを。(あくまでも自分の感覚ですが)
そういうものが好きだし、使いたいものだし、作っていきたいものだ、きっと。
そういうものを作るなら、ワクワクして作れるし、使ってて楽しいはず。
長年、家族のごはんを作り続けてきた生活者として思うことは、そういううつわは、飽きずに使えるなあと。
生活にほんの少し、アートのエッセンスがあるだけで、人はきっととてもいい気持ちになるのだと思う。そういうささやかなことが、日々を救うのじゃないか、誇張でも何でもなく、そんな想いにたどり着きました。
実際に作るときは、出来上がりのイメージを持つところから始まります。使いやすい、ということももちろん大事なんだけど、使いやすさばかりを追求すると、何というか凡用なありきたりなものになってしまうことがあり。
さらに、そのうつわを使うシーン、テーブルなどに並んだところ、収納されたところなどなどを、イメージしてみます。
イメージが固まると、それに近づける方法を探ります。
土の種類、焼成方法、釉薬、釉薬がけの方法、形、装飾。
作るときはけっこう細部まで詰めて考えます。その上で、作っていて変わる、フレキシブルさも必要だと思っています。
こんなふうに書くと、すごい作品みたいです

気持ちだけは!笑
最近は、一部の作品で、基本のベースラインは頭にあるのですが、あえて、土の重さを変えたり、トンボでサイズを揃えないようにしたりしています。
世界にただひとつって、やっぱり楽しいし、マグカップや飯碗などは、個人持ちなものだから、たくさん飲みたいからとか控えめに食べたいからとか取っ手の形が変わってるとかバランスがこれ好きとか、そんなふうに選んでもらえたらなあとか思って、手数はかかるのですが、そんなふうに作ることもしています。
今の生活に寄り添いたいから。
昨日、仕上がったマグカップ。
取っ手を丁寧につけるとどうしても4日はかかってしまいますが、時間をかけてよくなるならそうしようと。
四月の薪窯に入れる予定です。
今回の薪窯、私なりのテーマは、
ふだんの暮らしに使える薪窯のうつわ。
今までは、どうしても薪窯だと手間も時間もかかり、費用もかかるので、特別なものを作ろうとしていたけれど、そうじゃなくて、気張らずに薪窯のうつわを楽しめるようなものを、と。
自分的には、けっこう尖ってるんですが・・・

平行して作っていた、フルーツシリーズ。
面取りをしています。
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岸和田教室KIKI-clubをやっております。
和歌山でも、教室、体験、小さなギャラリーをしています。
ご興味のある方はお問い合わせください。